[谷崎潤一郎] ブログ村キーワード
七月ばかりに、風いたう吹きて、雨など騒がしき日、おほかたいと涼しければ、扇もうち忘れたるに、汗の香すこしかかへたる綿衣の薄きを、いとよくひき着て、昼寝したるこそ、をかしけれ。(清少納言、『枕草子』第四十一段) 《夕子流の現代語訳》 七月頃からしら? 毎日暑くて体も疲れきってしまっているような時に、風がひゅーひゅー吹いて、雨なんかもざあざあ降って、ちょっとほっとするような涼しい日があるのよね。そんなときは扇でパタパタする必要もなくて、ちょっとお昼寝・・・お布団を口元までかけると、お布団に染みついた汗の甘すっぱい匂いがぷーんとしてきて、ああ、なんだか素敵な人に抱かれている気分、すっごく素敵よね。
自分の汗の匂いを感じながら昼寝する、 その幸福感、うっとり感・・・ ああ、もうたまらなくいいわぁ! なんて、こんなことを臆面もなく語る清少納言は かなりの匂いフェチだったに違いない。
フェティッシュとは、 「魔性を具えた物」というラテン語に由来する言葉らしい。 そのような「物」に偏執し、陶酔し、狂崇し、 性的な昂奮を覚える。 それがフェティシズムだ。
一体私は衣服反物に対して、単に色合いが好いとか柄が粋だとかという以外に、もっと深く鋭い愛着心を持って居た。女物に限らず、凡て美しい絹物を見たり、触れたりする時は、何となく顫い附きたくなって、丁度恋人の肌の色を眺めるような快感の高潮に達することが屡々であった。 ・・・あの古着屋の店にだらりと生々しく下がって居る小紋縮緬の袷ーあのしっとりした、重い冷たい布が粘つくように肉体を包む時の心好さをおもうと、私は思わず戦慄した。あの着物を着て、女の姿で往来を歩いて見たい。(谷崎潤一郎、『秘密』) 反物=たんもの 粋=いき 凡て=すべて 顫い附きたく=ふるいつきたく 丁度=ちょうど 屡々=しばしば 小紋縮緬=こもんちりめん 袷=あわせ このようなフェティシズムを 果たして変態性欲だと言い切れるだろうか? 谷崎の描く衣服フェチなどは 男が女にではなく、 女の衣服のみに性的な蠱惑を覚えるのであるから 変態的と云われても仕方がないかもしれない。
しかし他方、すべての恋愛には フェティシズムが包含されているのも事実である。
時雄は・・・・別れた後そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微かに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。・・・・机、本箱、罎、紅皿、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。 性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。 薄暗い一室、戸外には風が吹暴(ふきあ)れていた。(田山花袋、『蒲団』) 微か=かすか 罎=びん 抽斗=ひきだし 暫く=しばらく 柳行李=やなぎこうり 絡げ=からげ 萌黄唐草=もえぎからくさ 夜着=よぎ 天鵞絨=ビロード 忽ち=たちまち
この『蒲団』のラストシーンに わたしは共感を覚えざるを得ない。
わたしもまた あの人が書いた手紙の文字を指でなぞったり、 汗のしみ込んだハンケチの匂いを嗅いだり、 口の中で残って絡みつく陰毛をねぶって呑み込んだり、 髪についた精液のこびりつきを舐めて拭ったり・・・・
それがあの人のからだの名残であるならば たとえ汗のすえた匂いであろうと 精液の汚れであろうと、 一本の陰毛であろうと、 いとしくて、いとしくてたまらない。
あの人の男らしい顔、 魂を優しく慰撫する声、 わたしを温めてくれる肌、 恍惚を与えてくれる肉塊・・・
あの人の面影のすべてが、 その「物」や「匂い」を通してまざまざと甦り、 性的な蠱惑をまでも覚え わたしの花芯は熱くほてり、愛液に濡れてくる。
嗚呼、屋烏の恋・・・
夕子のもうひと言 今日は平安時代の女流エッセイスト・清少納言さんと、明治生まれの田山花袋先生、谷崎潤一郎先生の文章をご紹介したわ。 いずれもすっごく味のあるエロチックな文章よね。でも、やっぱり時代がかったものは漢字が難しいかしら? 前に漢字が読めないというコメントもいただいので、読み方をつけたわ。田山先生の『蒲団』は名作よ。「あおぞら文庫」で読めるから、興味のある方はぜひご覧になってね。 フェティシズムをテーマにしたけど、フェチというのは女性には少ないんですって。その原因はフロイトのいう男根コンプレックスにあるという説を読んだことがあるわ。そうかもしれないわね。ああ、やっぱりわたしはあの人の熱くたぎったアレが欲しいわ・・・
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テーマ:詩・想 - ジャンル:小説・文学
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